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プリンセスで紐解く「女性」③

前回の記事では、「リトル・マーメイド」「美女と野獣」を考察し、未だ根付くジェンダーに関するステレオタイプや、ディズニーによる女性の描き方の変化を見てきた。今回考察するのは実写映画化されて間もない「アラジン」である。それにあたり、あらかじめ了承いただきたいことがある。前回同様この記事は長くなること、これから記述することはあくまで映画に対する考察であり、仮説であり、私の一意見に過ぎず、深く考えすぎだとも言えるということである。

 

注)歴代のディズニープリンセス

ディズニープリンセス - Wikipedia

「アラジン」

アラジン (1992年の映画) - Wikipedia

 

白人でないプリンセス

考察していくのは1992年公開「アラジン」。今回は、本作のプリンセスである「ジャスミン」に焦点を当てていく。ご存知の通り「アラジン」はイスラム圏の逸話集「アラビアン・ナイト」からの出典。彼女らの国「アグラバー」がどこかは断定されていないが、ペルシャ(=現在のイラン)がモデルではないかと言われている。従って、ジャスミンイスラム圏のプリンセスである。つまりこれは、ジャスミンはディズニー史上初の白人以外のプリンセス〉ということになる。ジャスミン以前のプリンセスは全て白人。これはディズニーが今までの「白人至上主義」を打ち破ったといっても過言ではないだろう。

 

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「強い女性」の演出

彼女のドレスを見てほしい。エメラルドグリーンの、上下が分かれた「パンツスタイル」だ。また、大きな金色のピアスを付け、切れ長の大きな目には派手な濃いメイクが施されている。更に、彼女の立ち振る舞いを見ると、腰に手を当てたり、腕を組んだり、どこか力強さを感じる。これらはスカートのドレスを綺麗に着こなし、文句を言わずに家事をこなし、お淑やかな立ち振る舞いをしていた(強いられていた)、今までのプリンセスにはなかった「勝ち気な女性」の表現である。実際に、かつてのようにプリンセスが慎ましく家事をこなすようなシーンはない(彼女が王女ということも関係しているが)。また、ジャスミンは勝ち気なだけでなくとても頑固な性格で、自分の決めたことは絶対に突き通そうとする。従って、彼女によって〈女性に意志や意見はいらない〉とされていた遥か昔の価値観も打ち壊されている。そう、「アラジン」以降、ディズニーによる女性の描き方がガラッと変化していくのだ。

 

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こんなシーンがある。ジャスミンはアグラバーの国王の娘、つまり王女であるのだが、この国には『王女は王子としか結婚することができない』という法がある。彼女は国王より『誕生日までに身を固めること』を強いられているのだが、強く反発している。それに、求婚してくる男性達はほとんどが彼女の美貌や富が目当てであり、そんな男性達に彼女は心底うんざりしている。実は、アラジンもその一人。彼は王子のフリをしてジャスミンに近くのだが、ジャスミンの美貌のみしか評価していなかったアラジンは、彼女にビシッと「冗談じゃない、女性は男性のトロフィーでない(I’m not a prize to be won!)」と言い放たれるのである(また、ジャスミンはこのセリフの前に、すっかり王子気分のアラジンと、自分を賞品扱いする男性達に対し、しかめっ面で「How dare you?」と言う。これは意訳すると「よくもまあそんなことが言えるわね」というニュアンスになる)。このシーン以外でも、意図的かどうかはなんとも言えないが、事あるごとに男性にキッパリと反論したり、強い物言いをする描写が多い。決して今までのプリンセスが嫌いなわけでない(むしろ筆者は大のディズニープリンセス好きである)し、比較して下げるつもりもないのだが、かつてのプリンセスでこんなに男性にひるむことなく刃向かう女性がいたであろうか

 

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なぜジャスミンは「強い」のか

さて、個性豊かなプリンセス達の中でも、なぜジャスミンはひときわ「勝ち気で気が強い(筆者はこの表現が苦手だがあえて使用する)」演出がなされているのだろうか。ヒントはジャスミンの国籍にある。彼女はイスラム圏の女性。イスラム圏の主な宗教であるイスラム教」は、いわゆる女性蔑視的な気質をかなり多く含んでおり、そのために理不尽に虐げられている女性の数は計り知れない。そう、この演出は〈未だ立場の弱いイスラム圏の女性のエンパワメント(=ボトムアップの考えに基づく、対象の本来持つ能力の開花)  向上のため〉と推測できるのだ。ここで、少し逸れて2019年に公開された実写版「アラジン」を振り返ってみる。この映画でのジャスミンは、男性から『女だから国王にはできない』『女に必要なのは美だけ・女の意見はいらない』などと言われ、「Speechless」という歌を叫ぶ。「Speechless」とは「黙る」という意味だが、この歌の歌詞は〈私は黙らないわ〉〈私を見くびらないでよね〉〈何世紀も前の価値観はもう終わり〉などといったフェミニズムと親和性の高いものが多い。よって、これは「黙る」というよりも「黙らないわ」という意味合いとなる。このようなフェミニズム溢れる歌をジャスミンに歌わせたのも、そんな狙いがあったのだろう。

 

ジャスミンは選ばれない

以前の記事で、1930〜50年代当時は〈女性は男性に選ばれる存在〉という価値観が存在していたのではないか、と考察した。そして、過去のプリンセス達は王子様に選ばれていたのが、80年代後半にはお互いが惹かれ合う、という表現に変化していたことが分かった。今回も考察をしてみる。ジャスミンはアラジンと出会い、魔法のじゅうたんで初めて外の世界へ旅をする。有名な「A Whole New World」のシーンだ。そして、一悶着あった後、最終的に2人は結ばれる。その時、ジャスミンはアラジンに対しこう発言する。I chose you, Aladdinつまり私はあなたを選ぶわ。そう、ついに〈女性が男性を選んだ〉のである。また、アラジンは本当は王子様でもなんでもない、貧しい一般人。一方で、ジャスミンは国の王女。この映画では、女性の方が立場が上なのだ。それに、憧れや好意を抱いたのはアラジン(=男性)の方からである。つまり、ここでかつての〈王子様を夢みて待ち続けるお姫様の素敵な恋物語〉というお決まりのパターンも打ち破られているのだ。

 

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幸せの白いウェディングドレス

ここで一旦、前前作の「リトル・マーメイド」に話を戻そうと思う。この映画のラストシーンは、〈晴れて結ばれた2人が、白いウェディングドレスと白いタキシードを着て、皆から祝福される〉というもの。2人の間には子供も生まれる。

 

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一方、「アラジン」ではどうだろうか。彼女らもラストシーンでは結婚する。ここで、ジャスミンが来ているドレスを見てほしい。結婚したあとも一貫して「パンツスタイルのドレス」を着ているのだ。実は、「リトル・マーメイド」の次作品「美女と野獣」のヒロインもウェディングドレスを着ない。それに加えて、「アラジン」「美女と野獣」には子供を授かる描写がない。つまり、90年代に入り、ディズニーは〈女性の幸せとは男性と結ばれ、白いウェディングドレスを着て、最終的には子供を授かること〉という価値観を徐々に捨てていったのではないだろうか(ただし、続編ではジャスミンが白いドレスを着ているので断言はできないし、その表現が非常に残念である)。

 

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ステレオタイプが残るシーンも

これだけ女性に関する描写の著しい変化がみられる作品であるが、未だジェンダーに関するステレオタイプが垣間見えるシーンもある。宮殿の外にアラジン(=男性)が自由を夢見ていたジャスミン(=女性)を連れ出すシーン、物語の終盤にピンチとなったジャスミンをアラジンが助け出す、というシーンである。「リトル・マーメイド」のラストシーンのように、この作品でも〈女性は男性がいないと何もできない〉〈女性が男性に救われる=女性は男性に守られる存在〉という価値観が垣間見えてしまう。また、〈王女は王子としか結婚できない〉という法は改定され、無事に彼女らは結ばれることとなったのだが、ジャスミンが強く反発していた〈王女は自身の誕生日までに婚約しなければならない〉というしきたりは未だ変えられていない。このしきたりは〈女性はなるべく早く結婚するべき〉という女性蔑視を含んでいる。男性が早く身を固めるよう強要されることはあるだろうか。

 

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以上のことから、「アラジン」は女性に関する描写がガラッと変化する分岐点であると言える。ディズニープリンセスの中でも、ジャスミンの存在はかなり異端なものかつ、特別な意味を持つものなのではないだろうか。従って、「アラジン」あたりから徐々にディズニーによるポリコレが始まっていったのではないかと推測できる。実際に、次のプリンセスである「ポカホンタス」はインディアンの女性であるし、その次のプリンセス「ムーラン」はアジア系の闘う強い女性である。

 

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次回は「アナと雪の女王」を中心に、現代における女性像や多様性、ポリコレについて更に考察していこうと思う。