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プリンセスで紐解く「女性」②

さて、前回の記事では「白雪姫」「シンデレラ」の2つの映画から女性に対する固定概念を見てきた。今回考察していくのは「リトル・マーメイド」と、「美女と野獣」である。まずは「リトル・マーメイド」から考察していくことにする。前回同様、この記事は非常に長くなる。また、これから記述することは私の映画に対する考察であり、仮説であり、一意見に過ぎない。

 

注)歴代のディズニープリンセス

ディズニープリンセス - Wikipedia

「リトル・マーメイド」

リトル・マーメイド - Wikipedia

美女と野獣

美女と野獣 (1991年の映画) - Wikipedia

 

海底のプリンセス「アリエル」

1989年公開「リトル・マーメイド」の話をまとめるとしたら、〈人間の王子と、彼に一目惚れをしてしまった人魚姫の恋物語〉といったところか。主人公かつこの映画のプリンセスである「アリエル」は、海底に住む人魚姫。彼女は非常に好奇心旺盛であり、いつも「海の外である人間の世界」に想いを馳せている。そしてある日、アリエルは偶然溺れてしまった人間の男性に出くわし、必死に泳いで助ける。その助けた彼こそが人間の王子である「エリック」であり、彼女が一目惚れをしてしまう相手なのである。さて、前回の記事では「白雪姫」「シンデレラ」において、〈女性は王子様が迎えに来ることを待っている=女性は男性に選ばれる存在であると言える〉という考察をした。「リトル・マーメイド」ではどうだろうか。詳しく見ていく。

 

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選ばれるのは誰なのか

先述の通り、アリエルは人間であるエリックに一目惚れをする。しかし、今までのプリンセスと違うところは〈男性に一目惚れをするが、男性に一方的に選ばれるのではなく、次第にお互い惹きあっていく〉というところである。「リトル・マーメイド」は80年代後半に制作された。この描写を受け、アメリカでは80〜90年代頃から、〈女性が選ばれる〉という価値観を徐々に古いものとしていったのではないかと推測する。ただし、それは少しの変化に過ぎず、未だ〈女性が王子様(=男性)に憧れ、最終的にはどこかで選ばれるのを待っている〉ともとることができる。

 

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同意なしの「キス・ザ・ガール」

徐々に惹かれ合う2人は、ある夜にボートに乗ってデートをする。そして、いわゆる『いい雰囲気』になる。さて、このシーンでは「Kiss the Girl」という挿入歌が流れる。ここで、この歌の歌詞の一部を見てみよう。

 

Yes, you want her

   Look at her, you know you do
   It’s possible she wants you, too
   There is one way to ask her
   It don’t take a word
   Not a single word
   Go on and kiss the girl

意訳すると  

そうさ、君(=エリック)は彼女が欲しい

   彼女を見て、今何をすべきか分かるだろ

   きっと彼女も同じ気持ちだよ

   すべきことはただ一つ

   何も言うことはないよ

   それは言葉じゃないんだ

   さあ、キスしちゃえよ

 

要するにこれは、あと一歩を踏み出せずにいるエリックに対し、『いいからキスしちゃえよ』とアリエルにキスすることを外野が催促する歌である。しかし、いくらアリエルはエリックに好意を抱いているとはいえ、彼女の同意なしに無理矢理にでもキスをしてしまえ、と煽るのは性加害には当てはまらないのだろうか?物語の設定上、実際にはアリエルもエリックと同じ気持ちではあったのだが、この歌には『もしかしたら彼女はキスをしたくないかもしれない』『いきなりキスをするのは失礼かもしれない』といったアリエルへの配慮が全くない。それどころか、『そんなこといいから早くキスしちゃえよ』と男性(この歌を歌うのは「セバスチャン」というオスの蟹?である)が男性を煽っている。これが女性蔑視からくるもの以外の何なのであろうか。実際に、海外では『この描写はセクハラやレイプを助長する』として批判が起きたようである。従って、80年代後半時点ではおそらく〈キスやセックスは相手の同意あってこそのもの〉という価値観は浸透していないのだろう。

 

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垣間見える「ステレオタイプ

私が疑問を呈した描写はそれだけではない。それは〈最終的に、アリエル(=女性)がエリック(=男性)に助けられる〉という描写だ。思い返してみれば、これはこの映画だけではなく数えきれない創作作品に見られる描写ではないだろうか。この描写の根本にあるものは何なのか、私はこう仮説を立てた。それは、ジェンダーに関するステレオタイプが、具体的には男性は屈強で論理的であり、勇敢である(=マッチョイズム)女性は優しく思いやりがあるが、感情的で、力が無くか弱いところがあ、などが幼少期から刷り込まれており、自然と〈男性は女性を守る存在=女性は男性に守られる存在〉という価値観がこの描写を生み出したのではないか、という仮説である。これらのことから、1989年時点では未だジェンダーに関する固定概念が深く根付いていることが推測できる。

 

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美しいのはプリンセスだから?

続いての作品は1991年公開「美女と野獣」である。2017年に実写映画化されたこともあり、話を把握している方も多いのではないだろうか。この映画をまとめると、〈心が狭いために呪いをかけられ、醜い野獣となってしまった王子を、美しい女性が真実の愛で愛する〉といったところであろう。この頃から著しくCG技術が向上したこともあり、とても美しい話ではあるのだが、私はなんとなく、この話が苦手である。というのも、この映画のプリンセスの名前は「ベル」という。これはフランス語で「Belle = 美しい」という意味だ。重箱の隅を突いていることは十分承知しているのだが、こんな細かいところからもどことなく容姿至上主義(=ルッキズム)のようなものを感じてしまうのである(しかもこの映画の題名には堂々と「美女」という単語が使われている)。プリンセスであるからには、必ず美しくないといけないのだろうか。だとすれば、その理由はなんなのだろう。〈プリンセスだから〉?

 

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〈容姿が醜くても愛するべき〉

苦手な理由はそれだけではない。ベルは教養があるだけでなく、非常に寛容な心を持っており、恐ろしい野獣を見ても逃げたり罵倒したりは決してしない。それどころか、優しい気持ちで全てを包み込み、最終的には野獣のことを愛するのである。私はこの展開をどうも苦手に感じてしまう。少し考えてみてほしい。男性は世間から『女性の容姿がどれだけ醜くても、偏見を持たずに愛するべき』と言われることはあるだろうか?そして、愛することができるであろうか?私はあまりそれが多いとは思えない。むしろ、前回の記事でも記述したように、私は女性ばかり寛容さや、海のように深い母性などを求めてられていると感じている。ベルも例外にもれずそれらを否定することなく受け入れ、深い愛情で野獣を愛する。皆さんはどう感じるだろうか。

 

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進化したところもある

しかし、2つの映画に共通して女性に対する価値観が変化しているのではないか、という表現もある。それは、どちらのプリンセスも〈知的好奇心が旺盛〉という点である。アリエルはまだ見ぬ人間の世界に想いを馳せ、想像し、ベルは毎日欠かさず読書をし、空想にふける。〈女性に学は必要ない〉とする化石のような価値観から、プリンセス達が解放されたのである。実際に、実写版「美女と野獣」には、ベルが文字の読めない子供達に文字を教えていたところ、通りすがりの男性に『女性に学などいらない』と罵倒されるシーンがある。しかし、ベルは決して屈することはしなかった。このように、プリンセス達を詳しく考察していくと、見えなかった女性に対する意識の変化が目に見えてくるのである。

 

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長くなったが、次回は「アラジン」に登場するプリンセス、「ジャスミン」について詳しく考察し、ディズニーによるポリコレの始まりや具体的な進化について見ていきたいと思う。