酒処 はちわれ

わたしの お酒のおつまみ

天日の歓迎

今週のお題「2020年の抱負」

 

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今日は1月2日、天気も良いので初詣に出向くことになった。朝は早く起床してコメダ珈琲のモーニングを食べた。そこでいただいた蜂蜜のかかったヨーグルトが濃厚かつ非常に美味で、蜂蜜が食わず嫌いであったことに気がついた。まるで小難しい本のように分厚いふわふわの食パンにバター、卵サラダを塗って、まろやかな味わいのコーヒーとともに朝食を済ませた。

 

さて、目的地は、茨城は鹿島の鹿島神宮である。鹿島神宮は、武道や闘いの神様である「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」を祀る、常陸国の一宮。利根川下流に建つ「香取神宮」「息栖神社」と並んで、「東国三社」のひとつである。ここは、わたしが赤ん坊の頃から参拝し続け、大切にし、心の拠り所としてきた深い思い入れのある場所だ。今年もまた、ここに帰ってきた。

 

武甕槌大神は全国の春日神社にも祀られており、ここ鹿島神宮でも春日大社の御分霊を拝むことができる。この場所はあまり知られていない穴場のようなスポットで、細く長くそびえ立つ木の隙間から光る日光が神聖な空気をよりピリッと整えている。

 

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春日大社の御分霊

 

宮内はとても広く、農作の神様であるお稲荷さまも祀られている。また、武甕槌大神は、当時地震を起こすと考えられていた大ナマズをその屈強さで治めたとも言われており、そのナマズの頭であるとされる石「要石」なども見ることができる。

 

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宮内にあるお稲荷さま

 

神宮は坂の上にある。レンガ造りの坂道を登り、参道に入ると屋台が並び、ひとは片手に食べものを持って笑い合い、お面をつけてはしゃぐ子供が、お年玉をもらって微笑んでいる。屋台の列を先に行けば石造りの大きな鳥居がそびえ立ち、人々を大きな口を開けて人々を飲み込んでいく。

 

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参道は多くの屋台やお店で賑わう

 

本殿は非常に珍しい造りをしている。本殿はわたしたちに向かって立つのではなく、横を向いているのだ。これは北を向いていることになる。春日神社の本殿は西に向いていることが多いようであるが、鹿島神宮だけは北を向いているのである。これは当時朝廷に対し反発していた東北地方の統一(いわゆる「蝦夷」の弾圧)を願うためだと言われている。

 

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本殿が北を向いている

 

ともにいた母親がこんなことを言った。「参拝しているとき、急に人が少なくなったり、宮司に会ったり、急に雨が降ったり止んだり、そんな奇妙なことが起きたときは神様が歓迎してくれている証なんだよ」と。また、久しぶりにおみくじを引いてみた。結果は「吉」で、まずまず良いことが書いてあった。

 

しかし、歓迎の証もおみくじも、言ってしまえば「嘘か本当かわからないこと」である。そこに確かなことは全くなく、ふわふわと抽象的すぎて非常に不安定だ。参拝中に人が少なくなるタイミングなんて大いにあり得るだろうし、宮司さんなんてそこら中にいらっしゃるし、天気なども変わっていくのが当たり前である。おみくじなんて、言ってみればマッチングアプリのようなもので、偶然出会っただけの、ただの紙切れであろう。

 

しかし、大晦日に綴ったように、人間は終わりや正解のない繰り返しの作業の毎日を、それらが確定しない不安の中で、右往左往して生きている。わたしが思うに、そもそも神様というものがそうであるように、「嘘か本当かわからないもの」は信じていた方が健康上良いものである。毎日を右往左往する中でも、神様が歓迎してくれている。おみくじの通り良い未来が待っている。そう信じていた方が、仮のものではあるものの、不確定な毎日が正解に近づいたような気がして、心に余裕が出る。良いものは何でも自分のものとすれば、自然と幸多き毎日になるだろうし、ほころんだ心を通して見る世界は色あざやかで、暖かなものであろう。

 

今年は新しい元号でのはじめての新年を迎えることができた。これもまた、幸せなことだと思うことにする。神頼みも良いが、自らで幸多き毎日をつくっていくためにも、今年はひろい心で様々なものを信じ、小さな小さなどうしようもない幸せを噛み締めていこうと思う。また翌年も、鹿島神宮に、全てのものに歓迎していただけるように。

 

(あけましておめでとうございます。今年も良い年になりますように。)