酒処 はちわれ

わたしの お酒のおつまみ

雑草を抜き続ける

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ここ最近、文章を書くモチベーションが上がらなくなってしまい、しばらくブログから離れていた。これまで色鮮やかに移り変わっていた全ての景色たちが急に灰色になってしまう時があって、それが今だった。この時期に突入すると、音楽や文学やお花の色やテレビの雑音などが全て意味のないただの物体になってしまうから、いつもは自然にふわっと思い浮かぶ書きたい文章が、全くと言っていいほど浮かんでこない。しばらくの時間をベッドの上で過ごしていた。気がつけば世間にはクリスマスや年の瀬が近づいていた。

 

年の瀬はいつも田舎の実家へ帰省することにしている。うちは親戚も多いし、わたしの帰りを待ってくれている人、会っておきたい人がたくさんいる。実家は海岸のすぐ先にあって、いつも潮の香りがしている。

 

今日は大晦日ということで、いわゆる大掃除をした。わたしは庭の雑草取りと玄関の掃除を担当した。はしる潮風と、師走にしては暖かい陽気の中、ひたすら雑草を抜き続けた。雑草たちや時折飛び出してくる小さな芋虫たちは、ただ生きているだけなのに人間の勝手な都合で駆除されてしまって、少々申し訳なくはあるが、わたしも仕事なので仕方がない。無心で雑草を抜き続ける。そして、玄関の苔を落とし続ける。気がつけば日は少し傾いていた。

 

晦日が近づくたびに思うことがある。人生とはひたすら「繰り返し」であるということだ。必ず再び雑草は生えてくるし、苔も生えてくるというのに、人間たちは年の瀬になるとせっせとそれらを除く作業をする。大晦日でなくても、明日には必ず埃が積もるというのに、毎日箒を揺らしたり、必ず排泄されてしまうというのに、懲りずにわたし達は食事を摂ったりする。お風呂に入る。夜になると布団へ潜る。朝起きて髪の毛をとかす。出かけていく。膨大な時間を、ひたすら繰り返し作業に費やしていく。そして、気づけそれは人間にとっての「生活」となっていくのだ。

 

だから、わたしは毎日の様々な繰り返し作業を行うたびに虚しくなる。だって、結局また雑草は生えてくるのだから。果てしない繰り返し作業の中、終わりの見えないことが怖くなるし、はじめは躍起になって燃やしていた炎もだんだんと勢いが弱くなってしまう。しかし、その虚しい繰り返しの中にも、確かに安らぎや、楽しみや、言葉にすることのできない何かが存在していると思う。そして、何よりそれらは、繰り返されることで大きな意味を持つ。人間が繰り返してきたたくさんのことたちは、確かに雑草は何度も生えてしまうけれども、決して無意味なことではないのである。

 

新年を迎えても、わたしは、繰り返しの作業に意味を見出すことや、その後にアイスを食べるだとか、お風呂にゆっくり浸かるだとか何か楽しみを持つことを忘れずにいたい。そして、繰り返すこと自体を楽しむ気持ちを持ち続け、人生を楽しめる素敵な女性となれるよう、前を向き続けようと思う。世界は灰色だけれど、わたしの心の中の色は失わずに、雑草をひたすら抜き続けたい。

 

(このブログを一度でも読んでくださった皆さま、ありがとうございました。良いお年を。)