酒処 はちわれ

わたしの お酒のおつまみ

こころの水面

f:id:Lovexxx:20191029154106j:image

 

睡眠薬がないと寝れない。「寝れない」というのは一字一句文字の通り、一睡もできないということである。眠気はあるのに目は冴えて、頭の中では目まぐるしく映像が流れ、四肢はむずむずと疼く。そんな状態が朝まで続く。うとうとすることはあれど、決して眠りにつくことができない。その曖昧な境界を行ったり来たりと繰り返す。

 

1日を終えて寝床につき、目を閉じる。すると、だんだんと心の中にたまっている水たまりの水面が、まるで木が風に吹かれてざわめいたときみたいにざわざわと揺れはじめて、居ても立っても居られない気持ちになる。眠りにつこうとすればするほど風は強くなり、水面にはやがて波が立つ。夜が更けていくにつれ、波は高くなり、やがて渦をつくる。渦を覗き込んでみると、真ん中は白く輝いていて、目を凝らしてみると何やら映像が流れている。

 

今日あった人の、ふとした時のするどい表情。今どきの服装。今日話したことが渦の中で反響している。みんなの聞きなれた声が聞こえる。時はさかのぼり、前に住んでいたアパートの前に咲いていたひまわり。毎日会っていたあの人たち。あの人がよくしていた表情。わたしがよくしていた仕草。大学2年生のときに行ったボウリングの帰りの陰鬱な車内。ベッドから這い出して遅れて行った講義、みんなの好奇の目。大学をやめていった人の顔。映像を眺めていたら、突然鳴り響く、母親からの電話。刺すような大きな音でベルが響いている。母親の話す声。母親の重い重い愛情。何よりも怖いもの。母親からの電話は切れない。高校生の頃に友人と写真を撮りに行ったあの景色たち。泳ぐ鯉、揺れ落ちる紅葉、空を仰ぐ夫婦。夫婦のどちらかが言った「あなたが無駄にしてきた時間と金はどう取り返すの?」母親からの電話はまだ続いている。わたしは大丈夫だよ。そう言って電話を無理やり終わらせて、カッとなって電話機を渦の中へ投げようとした。渦はピークを迎えて何もかもを飲み込みそうな勢いだ。その瞬間、手先から渦の中へ吸い込まれる。わたしは渦に溺れて濡れる。すると、ポケットにしのばせておいたブロチゾラムがふわっと水に溶けだした。たちまち渦は収まり、波は低く柔らかくなる。水面は人肌ほどの温度できらきら輝き、倒れ込んだわたしを包む。そして、水に抱かれながら、渦が映した過去のあれこれや、これからの不安要素をひとつひとつ諦めていき、わたしはようやく浅い眠りにつくのだ。