酒処 はちわれ

わたしの お酒のおつまみ

生活するって本当に難しい

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人生とはどうしてこうも非常に身勝手で理不尽で無条件に苦しいものであろうか。そんな人生もまだまだ始まったばかり、9月の誕生日を目前にしてふと立ち止まって考えてみる。  

 

そもそも動物なんて、寝て食べて生殖さえしていれば、あとは風を感じたり夕焼けに染まったりするだけで良いはずなのだ。本来の動物の人生(人生とは言わないかもしれないけれど)とはそういうもののはずだと信じている。

 

だけど、人間は神さまのせいで意図せず(研究者じゃないので意図していたかどうかは分からない)大脳がこんなにも重くなってしまったためだけに、文明というものが膨大に発達し、寝て食べて生殖する以外にもたくさんの生命活動を行わなければいけない羽目になってしまった。それらの1番基礎的なものがいわゆる「日常生活」というものであろう。日常生活とは、当たり前で簡単に思えるが、実は非常に細かな要素の積み重ねで成り立っている。食事をするにも、動物ならそのままかぶりつくのを、人間はわざわざ食材を調理し、机に座り、箸を持ち、箸をうまく操作し、食べ物を口に運び、咀嚼し、飲み込むなどいくつもの工程を踏んで遂行する。他にも日常生活といえばどこかへ移動すること、排泄すること、お風呂に入ること、着替えること、身なりを整えること、こんなにたくさんある。これらをさらに先ほどの食事のように工程に分けると、わたしたちは毎日とんでもない工程をこなしていることになる。それに加えて社会の中で仕事をしたり勉強をしたり、人間関係に揉まれたりしているんだから、生活していくことって本当に難しいことじゃないだろうか。

 

詳しくは記述しないが、わたしは現在、日常生活が何らかの障害によって当たり前でなくなってしまった人たちと毎日関わっている。そして、わたし自身もその何らかの障害を持っており、生活が難しい人間の1人である。単刀直入に言うと、障害者の支援を学ぶことと障害者であることを両立している。そして毎日痛いほど感じる。生活するのって本当に難しい。そもそも「日常生活」が成り立った上での「人生」な訳であって、日常生活が成り立たなければいわゆる人間らしい活動ができない。さらに、明日とは否応にしてやってくる。生活しないという選択肢は死ぬ以外に無いのだ。毎日生活するので精一杯だ。ましてや人生を送るなんてなんてわたしには天秤から水が溢れるように精一杯だ。死ぬしかないのか?死ぬなんてもっとできない。最近読んだ田辺聖子の本のタイトルそのまま引用すると「人生はだましだまし」生きていくしかないんだ。そういう細かいところに気づいたら負けなんだ。明日もわたしは知らないふりをして生活を精一杯していく。酒や文学や音楽でごまかしごまかし生きていく。それがいつまで続くかは分からない。